1980年代~2013年まで


1980年代 ひでぶごろー生誕

 

生まれたときはどうやら青いこうのとりが運んできたと、

両親が教えてくれた。

しかし、歳を重ねるにつれ、それは幻想だと気付いた。

 

小学生の頃 ピアノを習い始める

 

しかし、基本的にすごい嫌いだった。

何度もサボったことがあった。

嫌すぎて泣いてたこともあった。そして途中でやめる。

 

中学生の頃 音楽との出会い

 

何気にこの頃から、ピアノで流行りの歌のメロディーラインを

ピアノの音階に起こしていた。つまり耳こぴ。

あと、中学最後の音楽発表会があった。

その時、流行っていた「ゆず」を演奏している人を見て、

「俺もギターやりてー!!!」と興味を持つ。

 

中学三年卒業後 ギターを買う

 

モーリスのアコースティックギターを買う。

ゆずの楽譜を見て、いろんな曲を弾けるように頑張る。

 

高校一年の春 作詞作曲を始める

 

きっかけはわからないが、なぜか曲を作っていた。

気付けば、ゆずよりも曲を作ることにどんどんはまっていった。

 

高校二年 初ライブ

 

人生で初のライブ。

この時、すでにオリジナル曲を二曲披露した。

意外にもオリジナルが受けてしまった。

そして、ちょっと不良系の人まで、なぜか知られていた。

これがきっかけで、人に自分の曲を好いてもらうことに快感を覚え、

どんどんはまっていく。

 

高校二年 MTRとの出会い

 

録音機により、編曲の幅が広がる。

自分の曲にアレンジをつけはじめる。

 

高校二年 映画に使用される

 

同級生で映画を作っている佐々木友輔氏がおり、

彼に僕の曲を使用していただく。

「手紙」という長編映画。

なんと大賞をとり、海外にまで放映される。

 

高校三年 初のアルバム

 

簡易的ではあるが、自分の曲だけのアルバムを作った。

聞いた人は本当に親しい人ばかりだが、

アルバムを作ることの大変さを思い知った。

 

浪人時代 本格的なリズムの取り入れ

 

ドラムとベースを打ち込みで作り以前よりも、

曲のアレンジ完成具合が上がった。

アルバムも二枚作り、うん、勉強してなかったなぁ・・・笑。

 

大学時代 軽音楽部

 

ギターボーカルとキーボードを担当した。

多くのバンドを組み、人に触れ、非常に有意義な時間であった。

 

大学時代 企画ライブを三回実施

 

通称「ひでぶじょいんと」

ここでは、ベースやドラムといった未開拓ゾーンに手をつけた。

人のつながりからできたイベント。

90人をライブハウスで埋めることができて、

達成感を味わった。

 

大学時代 オリジナルバンド結成

 

「Posting our site」「シベリアン」という二つのバンドを組む。

どちらも解散してしまったが、

オリジナルバンドの楽しさと難しさを味わった。

 

社会人 スタジオメロウの出会い

 

たまたま訪れた神戸市西区のスタジオ。

マスターと話をする中で、気付けば常連に。

サークルバンドという制度から、再び音楽やバンドをはじめ、

このスタジオに出会うことで、自分の音楽人生は大いに変わった。

 

社会人 オリジナルバンドの結成

 

マスターとするラジオから派生したバンド「風林火山」

常連同士でのバンド「ポプラ」

現在活動をしている「calandolce(カランドルチェ)」

多くのオリジナルバンドにめぐりあえた。

 

2012年 作曲講座の開始

 

自分が10年間してきた作曲経験をもとに、

作曲に興味のある方への講座を開始。

 

2013年 弾き語りでの活動開始

 

calandolceのバンドと並行して、

calandolceの音楽をもっと広めたいそんな想いから、

弾き語りも開始する。

2012年も「月夜の夢兎」「昭和村」で演奏させていただき、

自分一人だけで、ステージにたつプレッシャーに、

毎回潰されていることに危惧を覚えたことも理由にある。

calandolceの顔として、新しい自分に出会いたい。

そして多くのアーティスト、多くのリスナーに出会っていきたい。